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代表社労士・中谷のプロフィール

執筆者
中谷 俊聖
  • 2023.11.23 / 2023.11.23
  • COLUMN

大阪市西区で中小企業の給与計算や労務管理をサポートする「なにわ総合社労士事務所」です。

今回は、代表社労士の私、中谷のプロフィールをご紹介します。

誕生

昭和47年12月21日生まれ。いて座。血液型はB型。
生まれたのは大阪の狭山市というところですが、すぐに奈良県御所市に引越し、奈良県民として育ちました。

昭和60年年3月 御所小学校卒

近所の公立小学校で少年野球チームに入り、卒業まで4年ほどやっていました。
結構中心的メンバーで頑張ってたんですよ。
小学校の成績はまずまず?だったと思います。
ただ、率先して人前で目立ちたいような性格ではなく、恥ずかしがりやな感じです。
とはいえ、いじめられっ子タイプでもなく、無難に自分のポジションをとれるというのでしょうか、良く言えば結構バランス感覚はあったように思います。
悪く言えば中途半端なんですけどね。

昭和63年3月 御所中学校卒

近くの公立学校へ通い、地味な生活を送っていました。
普通なら部活とかに熱中するのかもしれませんが、クラスメイトに無理やり引き込まれた柔道部はさすがにジャンルが違いすぎで、半年ほどで辞めました。
少し帰宅部となっていたのですが、副担任が顧問をしていた英語部に入り、最後は部長までやらされて卒業までやり遂げました。
この頃は、どちらかというと成績優秀だったんです。
友人グループが皆テストでいい点をとるんで、私も負けじと競争し合えたからだと思います。

平成3年3月 高田高校卒

高校は隣の市にある高田高校というところへ進学しました。
高校時代は中学の反動?か、クラブ活動と遊びが中心となってしまいました。
高田高校は、進学校ではあるものの、ほぼ放任主義で、特に受験に向けた取り組みなんてなかったと思います。
ですので、サッカー部に入ってクラブ活動に精を出し、友達と遊んだりと、青春を謳歌していました。
当然受験勉強にも身が入らず、受験は全敗で浪人生活を余儀なくさせられました。
まさに挫折です。
今から考えても、受験への情報収集が全く甘かった。実情を知っていれば、勉強への対策もでき、危機感が持てたのでしょうが、塾にも行ってなかったですし、我流でちょっと勉強するくらいで合格できるわけがありません。

平成4年3月 エール予備校

私にとっていい思い出となっています。
予備校は難波にあるエール予備校というところに行きました。
関関同立ナンバーワンという実績が載ったパンフレットが目に飛び込んできたからです。
通学には1時間半もかかりましたが、高校時代の夜型生活も受験失敗の原因と思い、8時には学校へ到着して常に1番のりという生活を続けました。
この予備校、面白いことに高校のクラスのように、1年間同じクラスメイトで同じ席で勉強するのです。ですので、当然クラスメイトと友達になりますし、合格を目指す同志として、より強い連帯感が生まれました。
ここで出会った友人は今でも腹を割って話せる親友として付き合っています。受験は何とか成功し、結局同志社大学法学部へと入学することになりました。

平成8年3月 同志社大学法学部卒

高校時代の二の舞で、予備校時代の禁欲生活の反動か、高校以上に華やかな学生生活に溺れ?遊びオンリーの生活を送ることになります。
テニスサークルという大学サークルの王道に入り、バイトをしながら金を工面して遊びに生きる、勉強とは無縁の生活です。
地方から来て一人暮らしをしている連れのところをはしごして、家には帰らない日も多かったです。
今から考えれば情けない大学生活ですが、当時は本当に楽しい学生生活でした。
就職活動はこれといって将来の夢もなく、今から考えると流される感じで終ってしまったと思います。
入学した直後で浮かれている頃にバブルが崩壊して、就職活動時には超氷河期とか言われているタイミングでした。
おまけに第2次ベビーブームで子供の数が一番多い年代です。金融関係はもちろん、大手メーカーでも採用しないところがあるくらいで、かなり厳しい状態だったのですが、最終的に大阪に本社のあるヤンマーに就職することを決めました。

平成8年4月 ヤンマーディーゼル株式会社 入社

ヤンマーは、大きく船や建機、農機を作って販売しているのですが、私は名古屋支店へと配属になり、農機を特約店というディーラーに販売する営業になりました。
仕事は特約店を回りながら、機械を買ってもらうのが仕事なのですが、売れてもいない機械を買ってもらえることは少なく、社長と世間話をして終るのが普段の営業という感じで、結構精神的にきつかったです。
3年程経った時、このままサラリーマンとして定年まで会社に使われて終わりでいいのだろうか?というジレンマが沸いてきたのです。
同僚や先輩などはいい人ばかりでさすがに大企業の社員です。なかなかの人材が集まっているのがわかります。
しかし、そんな人たちでさえ、出世ルートからはずれたり、リストラの対象となったりするのを目の当たりにしていると、何かしら嫌気が差してきたのです。
結局はついた上司が誰なのか、転勤先がどこなのかという他力に左右される側面が大きいのではないか。
営業という仕事も、会社の看板を背負ってろくに実力のない私がやっている現実に大した仕事をしていないなという感情を持っていました。そんな中、決意したのです。
4年目を終えようとしていた冬に、上司に退職願を出しました。
支店長を含め慰留されたこともあって、予定より3ヶ月ほど辞めるのが伸びてしまいました。

平成12年~13年 受験勉強

試験が8月で辞めたのが4月半ば、4ヶ月しか勉強できません。
しかしやるしかないので、すぐに専門学校の講座を受け、猛勉強です。
ところで何故社労士か?といいますと、会社を辞める前から色々と考えてはいたのですが、単純に転職するだけでは、結果的に同じことですし、サラリーマンという世界が嫌だったので、独立できるものがいいだろうということで考えました。
ただ、会社を作って起業するとなると、資本金やノウハウも必要ですし、何も持っていない私など到底できるものではありません。
勉強は受験などで若干の自信はありましたが、さすがに脱サラで弁護士や司法書士という難しい資格では何年かかるか先が読めません。
税理士は畑違いで勉強したこともない分野です。
そんな中、社労士という比較的とっつきやすい資格で、難易度もびっくりするほどのものではなく、独立して仕事もできるということを知ったのです。
要は何でも良かったと言えばそうなのですが、社労士というと会社の人事総務の手続きを代行したり労務管理のアドバイスをしたりするのですが、そうした経営のサポート的要素は、私の性格からいって合っているだろうという感覚的なものはあったと思います。
とにかく退職してから4ヶ月で猛勉強した甲斐があって、合格レベルまでこぎつけることができました。
ただ、試験では、択一試験と選択試験という2種類があり、ボリュームのある選択試験で8割の正解率で合格ラインを余裕でクリアしたにもかかわらず、択一で1問だけ足きりに引っかかってしまいアウトでした。
なんという不運としか言いようがありませんが、これもやはり勉強不足の結果なのでしょう。
1度失敗したからといって引き下がるわけにもいかず、もう一度チャレンジを心に決めました。
翌年の試験では抜かりなく合格となりました。

平成13~15年 社労士事務所に勤務

合格したからといって、いきなり開業とはいきません。
もちろんいきなり開業も可能ですが、実務の経験はゼロ、コネもないですし、できれば社労士事務所で経験を積みたいと考えていました。
ところが、社労士事務所の求人というのがなかなかないのですが、たまたま社労士事務所の求人を発見し、応募すると、見事採用となりました。12名の応募があったようです。
この社労士事務所にて2年間実務経験を積み、晴れて独立することとなったわけです。
しかし、実務経験を積んだとはいえ、独立してもお客がいないことにはどうしようもありません。
社労士事務所の場合は、のれん分けという仕組みもありませんし、逆に既存の顧客に手を出さないという誓約書に署名させられたほどです。
もともとそんなものに期待もしていませんでしたが、これという勝算もないまま独立に踏み切ったことは間違いありません。
この社労士事務所で勤務している間に前職時代から付き合っていた彼女と結婚もしておりましたので、まさに前途多難という状況でした。

平成15年12月 社労士として開業

開業するのに、最初は個人で事務所を借りるのではなく、合同事務所というところに入る方法を選びました。
私がお世話になったのは福島合同社労士事務所というところです。
ここは独立したての社労士ばかりを集めて、一部お金を負担する形で事務所内の机を間借りし、ミーティングルームや備品等を共有するものでした。
活動はそれぞれ好きなように営業し、縛られることはありませんし、同じ立場の社労士が集まっていろいろと情報交換できるので、私にとっては得られるものが大きかったです。
営業はいろいろとチャレンジしながら、飛び込みやDMをやったり、勉強会に参加したり紹介をもらったりしました。うまくいかない方が多いのですが、地道に増やしていくしかありません。

平成20年4月 事務所移転

まだまだ経営に余裕はありませんでしたが、開業から3年程度で合同事務所を出て行こうという目標がありましたので、いつまでも合同事務所でお世話になるということもできないと、思い切って出ることを決意し現在に至っています。

趣味 テニス ゴルフ 料理

一番の趣味といえばテニスです。
遊んで暮らしていた大学時代に始めたテニスは、実はずっと続けており、大学時代から結構はまっています。
その頃からの友達と毎月1~2回はやっています。

ゴルフは社会人の付き合いとして始めましたが、それなりにうまくなりたい気持ちが出てきて、最近スイング理論の研究をしています。

料理は今まで全く興味もなく、一人暮らしは長かったですがほぼやったことはなかったのですが、何故か結婚してから面白くなってきました。
嫁さんがあまり料理にこだわりがないのも原因でしょうが、今では私が作った方がうまいです。

当事務所は給与計算のみの外注会社ではございません そこに絡む 労務手続きやトラブル など 従業員に関する総合窓口「なにわ総合社労士事務所」

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